歴史の扉 知られざる歴史の物語
時代の記憶

語学で切り開いた幕末・明治の扉

2026年07月24日 15:00
語学で切り開いた幕末・明治の扉

文政12(1829)年、清水卯三郎は武蔵国埼玉郡の酒造家に生まれたが、彼がのちに世界と渡り合う男になると知る者は、まだ誰もいなかった。

卯三郎は幼い頃から伯父・根岸友山のもとに預けられ、その人脈を通じて知識人たちの教えを受ける。

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当時の少年にとって、それはまさに運命を開く出会いだった。

机の上で目を輝かせながら、卯三郎は言った。

「この文字を読めれば、海の向こうの話もわかるのですか」

彼が夢中になったのは、オランダ語。異国の言葉に、少年は強く惹かれていった。

ところが、学べば学ぶほど、足りないものが見えてくる。

卯三郎は友山の伝手を頼り、佐倉藩の順天堂で佐藤泰然に、幕府天文台の箕作阮甫について、オランダ語の奥義を求めて各地を訪ね歩いた。

「もっと深く。もっと遠くへ」

その熱意は、やがて実践の場へと彼を導く。

嘉永7(1854)年2月、ロシア全権使節プチャーチンが下田に来航した。

卯三郎は伯父の計らいで、応接係・筒井政憲のお供として、この歴史的な場に立ち会うことになった。

一国の使節を前に、一介の従者が口を開くことなど、普通は許されない。

しかし、その時。卯三郎は臆せずプチャーチンに向かって、片言のロシア語を口にした。

「ヒアリ・コウ」

こんにちは。たった一言。されど、その一言が彼の人生を変えた。

周囲は驚いた。従者が全権使節に話しかけるなど、前代未聞の出来事だったからだ。

だが、プチャーチンは笑った。卯三郎の勇気を、むしろ喜んだという。

この経験で、卯三郎は確信した。言葉は壁を越える武器になる、と。

その日から、彼の学びはさらに加速していく。

ロシア語も、そして世界の仕組みも。

やがて彼は、単なる語学好きでは終わらなかった。

貿易、出版、言論。近代日本の土台を築く仕事へと、次々に手を広げていく。

その使命感は、まるで外交官のようだった。

「日本を、世界に開かれた国にしたい」

卯三郎は動いた。

そしてのちに、彼は薩英戦争の仲介にも奔走することになる。

言葉を操る者は、争いの間にも立てる。卯三郎はそのことを、身をもって示そうとしていた。

しかし、その道は決して平坦ではなかった。

時代は幕末。価値観が激しく揺れ動く中、彼の先進的な考え方が理解されないことも多かった。

それでも卯三郎は、歩みを止めなかった。

語学を学び、世界を知り、日本を変える。

その一歩一歩が、やがて万国博覧会での活躍へとつながっていく。

幼き日にオランダ語の文字に胸を躍らせた少年は、いつの間にか国境を越えて活躍する男になっていた。

開国前夜の日本に、彼がもたらしたもの。それは、言葉を超えて人とつながる力だった。

清水卯三郎。その名は、静かに、しかし確かに、新しい時代の扉を開いた。

彼の人生は、語学が人の運命をいかに広げるかを教えてくれる。

そしてその教えは、今もなお、私たちの胸に響いている。

言葉の向こうに、まだ見ぬ世界があると信じた男の物語は、幕末の風とともに、そっと歴史の頁に刻まれたのである。

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