洗い髪の女神 〜安達ツギの数奇な運命
明治7年(1874年)、長崎県対馬に生まれた安達ツギは、後に“恥ずかしい”はずの姿で日本中を熱狂させることになる。
父は対馬府中藩の朝鮮奉行・土岐守守道。厳格な武家の娘として育ったツギは、しかし、その胸に自由への憧れを秘めていた。
デニムに合う。履くだけで「ちょいワル」Tapoon 1886年、12歳で上京。1889年には鳥取師範学校長・小田貴雄と結婚する。
「お前の洋装は、わしの立場を考えろ」
夫はそう窘めたが、ツギは鳥取で最初に洋装を着こなす女性として話題になった。
「私は、新しい時代の象徴になりたいのです」
彼女はそう言い放ったという。
ところが、結婚生活は長く続かなかった。離婚。傷ついたツギは、新橋の芸妓となる道を選ぶ。
芸妓として「お妻」と名乗った彼女は、その美貌と気立てでたちまち評判になった。
しかし、本当の転機は、ある美人コンテストから始まる。
その時、ツギは他の参加者とはまったく違う選択をした。
「私は、ありのままの姿で勝負します」
彼女は当時「人前で見せるのは恥ずかしい」とされた洗い髪で登場したのだ。
会場は騒然となった。乱れた黒髪、濡れたような艶。誰もが息を呑んだ。
「なんて美しいんだ……」「恥ずかしいはずなのに、なぜか目が離せない」
観客たちはざわめいた。
ところが、その写真は瞬く間に評判に火をつけた。
新聞や雑誌に掲載され、やがて石鹸や化粧品のパッケージにも使われるほどの大反響を生んだ。
今で言うなら、バズって広告の顔になったようなものだ。
彼女は明治という時代に、常識を覆す“美”の形を示した。
洗い髪の姿は、古いしきたりに縛られない、新しい女性の象徴として人々の心に刻まれた。
だが、その後の彼女の人生は、華やかさだけではなかった。
芸妓として働きながらも、決して表舞台に立ち続けたわけではない。
それでも、一枚の写真が時代を超えて彼女を語り継がせる。
安達ツギ。その名は、今も明治の空気をまとって、静かに輝きを放っている。
彼女の微笑みは、何を伝えようとしているのだろうか。
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