歴史の扉 知られざる歴史の物語
人物秘話

歌姫・江利チエミ、喝采の果てに背負わされた二億円の借金

2026年08月01日 10:00
歌姫・江利チエミ、喝采の果てに背負わされた二億円の借金

昭和12年1月、東京・入谷に生まれた江利チエミは、やがて美空ひばりと並び称される歌姫になるが、その人生は喝采の陰で、異父姉の嫉妬による数億円の借金に引き裂かれていく。

父・益雄は吉本興業に所属し、看板芸人だった初代柳家三亀松の相三味線やピアノ伴奏を務める音楽家。のちに専属バンドマスターとなり、豪華客船の船内ダンスホールでも演奏した。母・谷崎歳子は浅草の喜劇女優で、笠置シヅ子や榎本健一と共演したこともあったが、チエミを身ごもるころから体を壊し、一線を退いていた。

デニムに合う。履くだけで「ちょいワル」 デニムに合う。履くだけで「ちょいワル」Tapoon

昭和18年4月、チエミは小学校に入学した。しかし戦局は悪化し、入谷の家は空襲で焼失。一家は大井町の仮住居を経て、母の親戚がいる山梨・甲府へ疎開する。ところがその甲府の家も爆撃で全焼した。チエミは親戚の子の葬式で東京にいたため、九死に一生を得た。

終戦後、母は腎臓を患い寝たきりに。三鷹の家で、チエミは鴨居に紐をぶら下げ、先端にタワシをつけた手製のマイクを握って、母が浅草でやっていた芝居の真似をしながら歌い続けた。

「私、歌手になる!」

目を輝かせて母に言ったその言葉が、彼女の運命を動かし始める。

ところが昭和22年、父が師匠と衝突して仕事を失い、一家の暮らしはたちまち困窮した。父は進駐軍のクラブでピアノ伴奏を始め、やがてアメリカ兵が集まる料亭に小学生のチエミも連れていかれる。彼女が歌うと座は大喝采で、兵士たちは『テネシー・ワルツ』や『カモンナ・マイ・ハウス』の新譜を贈り、彼女は擦り切れるほど聴き込んで歌を体に覚えていった。

12歳で父が手に大けがを負うと、チエミは都内だけでなく全国の米軍キャンプを回って歌うようになる。芸名は母が名付けた「江利チエミ」。小学5、6年生のころには昼すぎに迎えの車が来て、学校を出てキャンプへ向かう多忙な毎日だった。

しかし歌手への道は平たんではなかった。昭和26年、デビューを目指して受けたコロムビア、ビクターなどのオーディションは、すべて不合格。キングレコードの審査を数日後に控えたその時、母がこの世を去った。

何ひとつ手助けできなかった悔いを抱えたまま、翌昭和27年、チエミは「15歳の天才少女」として『テネシー・ワルツ』でデビューする。レコードは大ヒットし、映画『猛獣使いの少女』で主演も務めた。

昭和28年、アメリカに招かれた公演で大好評を博し、ハワイではデルタ・リズム・ボーイズと出会う。トップテナーのカール・ジョーンズは彼女の歌に驚嘆し、自分の培ったテクニックのすべてを教えた。帰国後、日本でもデルタ・リズム・ボーイズと共演した。

やがてチエミは美空ひばり、雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれ、18歳で映画『ジャンケン娘』に初共演する。明るい親しみやすさも評価され、長谷川町子の漫画『サザエさん』の映画で主人公・サザエ役に抜擢。後にテレビドラマでも当たり役となった。

その時、運命の出会いが待っていた。昭和31年、映画『恐怖の空中殺人』で共演したのは高倉健だった。人気絶頂のチエミに対し、高倉は名も知られぬ新人俳優だったが、共演前から彼女に密かな好意を抱いていた。

やがて二人は距離を縮め、昭和34年に結婚し、世田谷区に新居を構えた。結婚後、チエミは家庭に入るが、翌昭和35年には芸能活動を本格化させる。しかし3年後に授かった子は、妊娠高血圧症候群のため母体と胎児の双方が危険な状態となり、中絶を余儀なくされた。

そのころ父が再婚し、昭和36年秋に弟が生まれる。だがその同じ日、わが子のようにかわいがっていた次兄の子・サトシが事故で命を落とす。新しい命と愛する子の死を、彼女は仕事先で同時に知らされた。

昭和37年夏、異父姉のY子が突然現れた。母が父と結婚する前に産んでいた姉は、人気歌手となったチエミが自分の異父妹だと知ったのだという。

「夫と別れて、もう暮らしていけないの……」

母の面影を宿した姉に心を動かされたチエミは、同居して支える道を選び、子どもたちの養育費まで引き受けていった。

翌昭和38年、ブロードウェイ・ミュージカル『マイ・フェア・レディ』で主演を務め、テアトロン賞を受賞。その後も『キス・ミー・ケイト』や舞台版『サザエさん』に立ち、女優としても評価を確かなものにしていく。

ところがその裏で、私生活は大きく揺らぎ始めた。昭和45年、自宅が火災で焼失。翌年には、母親代わりとして支えてきた長兄・トオルが脳溢血で急逝する。

それでも夫・高倉の存在に支えられ、彼女はなんとか踏みとどまろうとした。しかし、長兄の死後、通帳と実印を預けたY子による思いがけない裏切りが待っていた。気づいたときには財産のほとんどが失われ、二億円とも三億円ともいわれる借金を背負わされていた。

Y子は預金を使い込み、不動産を担保に入れ、高倉とチエミの双方に中傷を吹き込んだ。そこにあったのは、「大スターの妹」への激しい嫉妬だった。

彼女は心の中でつぶやいた。「これ以上、高倉に迷惑をかけられない」

チエミは離婚を決意し、断腸の思いでY子を告訴する。Y子には懲役3年の実刑が下り、彼女は億単位の借金を背負ったまま、ひとり返済の道を歩むことになった。

千駄ヶ谷の実家近くのワンルームで暮らしを立て直し、舞台『二十四の瞳』では自身の疎開体験を重ねて教師役を演じた。出演料や歌の印税の大半を返済に充て、昭和55年にはデビュー30周年記念リサイタルを成功させる。

生活を切り詰めながら、彼女はついに借金を完済。港区・高輪ヒルズに移り、新たな人生を歩み始めた。

しかし昭和57年2月、チエミは自宅マンションで突然倒れた。脳卒中で意識を失い、吐物の誤嚥によって窒息し、45歳でこの世を去る。

第一線で歌い続けることを望んでいた彼女の最期は、あまりにも突然だった。高倉は葬儀に姿を見せなかったが、本名で供花を贈り、その後も命日のころには墓参を続けていたという。『テネシー・ワルツ』の歌声は、時を越えて静かに流れ続けている。

これは高圧洗浄機と同等の強さで、電力不要 これは高圧洗浄機と同等の強さで、電力不要BlastPro

今、あなたにオススメ