歴史の扉 知られざる歴史の物語
歴史の謎

砂漠に消えた5万のペルシア軍

2026年07月26日 11:00
砂漠に消えた5万のペルシア軍

紀元前525年、アケメネス朝ペルシアの王カンビュセス2世は、5万人もの大軍を砂漠へ送り込んだ——だが、彼らは二度と戻らなかった。\n\nエジプト征服を成し遂げたカンビュセスは、勢いに乗って西方のオアシス都市・シワにあるアモン神殿の制圧を命じた。\n\n「アモン人の神託など打ち砕け。神殿を焼き、奴らを跪かせよ」\n\n王の命を受けた遠征軍は、テーベを出発し、砂漠の道を進んだ。\n\n案内人を先頭に、7日ほどで一つのオアシスにたどり着いた。現在のハルガ・オアシスとされるその町で、彼らは最後の休息を取った。\n\nところが——。\n\nオアシスを出発した後、5万人の足取りは完全に途絶えた。目的地に到着した者も、エジプトへ帰還した者も、一人としていなかった。\n\n古代ギリシアの歴史家ヘロドトスだけが、この謎を伝えている。\n\n「アモン人自身の話によれば、遠征軍が朝食を取っていた時、南から猛烈な砂嵐が襲い、兵士たちはすべて砂に埋もれたという」\n\nしかしヘロドトスも直接見たわけではない。彼はそう断った上で、この話を書き留めた。\n\nその時から2500年以上が過ぎた今も、遠征軍の痕跡は一つも見つかっていない。\n\n「5万人もの兵が、砂嵐だけで全滅するものか」\n\nそう疑問を抱く者も多い。砂嵐は確かに恐ろしい。視界がゼロになり、方向感覚を失うほどの風が吹き荒れる。\n\nしかし、遺体も武具も荷駄も、何一つ残さず消えるというのは、あまりに不自然だ。\n\nそこで浮かぶのが、複合的な要因説である。\n\nまず補給の失敗。砂漠の奥地へ5万人を進ませるには、膨大な水と食料が必要だ。補給路が途絶えれば、軍はたちまち弱体化する。\n\nさらに隊列が乱れ、案内人を失えば、進路を見誤る。散り散りになった兵士たちは、帰る道もわからず、砂に飲まれたかもしれない。\n\n「待ち伏せされた可能性もある。地形を知る現地の者たちに襲われたのだ」\n\nそう語る研究者もいる。アモン人や遊牧民が、補給路を断ち、遠征軍を壊滅させたというのだ。\n\nまた、「5万人」という数字自体が誇張だった可能性も指摘される。古代の歴史書では、軍勢の規模が実際より大きく記されることが珍しくなかった。\n\n真相は、今も砂漠のどこかに埋もれたままだ。\n\nカンビュセス2世は、この遠征軍の消息を最後まで知ることなく、やがてペルシアで非業の死を遂げる。\n\n「なぜ、誰も戻らなかったのか」\n\nその問いだけが、風と砂の間を彷徨い続けている。\n\n数々の探検隊が砂漠を掘り、遺骨や武器を発見したと報じられたこともあった。だが、年代測定や出土状況から、遠征軍のものと断定できる証拠は、いまだに確認されていない。\n\n広大なサハラの砂は、2500年の間、沈黙を守り続けている。\n\n隊列が分断され、複数の場所で命を落としたなら、痕跡を探すのはなおさら難しい。砂の下深くに埋もれ、もはや形も留めていないかもしれない。\n\n5万人の遠征軍は、どこまで進み、どこで息絶えたのか。\n\n砂漠の風だけが、その答えを知っている。

デニムに合う。履くだけで「ちょいワル」 デニムに合う。履くだけで「ちょいワル」Tapoon

今、あなたにオススメ